Eテレ大好き!!

井伊テレ子がEテレの子ども番組や特撮・アニメの感想をぐだぐだと書き綴ります。

「みんなのうた」2015年2月-3月の歌『履物と傘の物語』

「みんなのうた」で2015年2月からオンエアされている『履物と傘の物語』。
ほのぼのとしたのどかな曲調で、物語のように歌が展開していきます。歌っているのは人気のアイドルグループAKB48から選ばれた8人。その話題性も手伝って聞いてみた人も多いのか、巷ではこの曲が「泣ける」「感動する」と紹介されていますね。

 

 

 

特に物語の最後のシーンで判明する事実。おばあちゃんたち二人が通わせた心の交流が暖かく伝わって、じんと胸を打たれます。そういえばちょっと前に吉田山田が歌ってた『日々』(「みんなのうた」2013年12月-2014年1月期)も、老夫婦の人生の軌跡を描いてて、同じような感情を呼び起こされるような歌でした。

そんでもって、この『履物と傘の物語』に出てくるおばあちゃんたち二人は、歌の途中で亡くなるんですよ。歌の途中で物語の登場人物が死んじゃうといえば、手嶌葵が澄んだ歌声で残酷に語るトラウマソング『エレファン』(「みんなのうた」2011年10月-11月期)なんかもあって、もうそれ、使っちゃいかん反則技でしょ!死ぬのナシ!!って思うんですけど。そうはいいつつ、やっぱりホロリとさせられちゃうんですがね。


でもこの『履物と傘の物語』、毎回聞くたびにすっごい考え込んで悩んじゃうんですよ。
履物屋さんのおばあちゃんと、傘屋さんのおばあちゃん、お互いがお互いのお店の商品を買ってたってことは、一見、お互いの売り上げに貢献してるように思えますよね。でもそこはお互いに払ってるわけだからプラスマイナスゼロなんですよ。それどころか、お店を経営していることでいろんな経費がかかるわけだから、お互いに買い物しあってるだけじゃ、れっきとした赤字なわけです。それじゃ一体、このおばあちゃんたちはどうやって生計を立てていたのか!?
(すいません、いつにも増してどうでもいいことをぐだぐだ書いてるので、正直ここから先、読まなくてもいい気がします・・・。)

 

仮説1:客ひとりあたりの単価が高い店だった

 この『履物と傘の物語』の歌詞から得られる、おばあちゃんたちのお店の情報はふたつ。
「田舎の駅近く」にあったってことと、「客の少ない」店だったということ。
歌に添えられたイラストも見るからに閑散としたイメージで、商店街があって賑わっているというような立地ではありませんよね。そのことが逆に、この歌の素朴な魅力を引き立てているとも言えると思うんですけど。
駅前ですから、急に雨に降られた帰り道にビニール傘を買い求めるとか、長靴や運動靴など、日用品として必要なものを買いに行くようなお客さんの需要もあるかもしれません。でも『履物』も『傘』も、基本的には頻繁に買うものじゃありませんよね。

少ないながらもお客さんがいるなら、仕入れも必要になるだろうし、お店を開いていることで、そこにはいろんな経費がかかってきちゃうわけで。
この履物屋さんと傘屋さんに来てくれる数少ないお客さんが、店を継続できるだけのそこそこの売り上げをもたらしてくれていたのだとしたら、もしかしたら客単価が高かったのかな?数万円もするような高級靴とか、職人の手仕事で作られたブランド傘なんかを売ってたのかな、と。でもそうだとあんまり、この歌のイメージに合わないですね。

 

 仮説2:実は大口の固定客をもっていた 

お客さんがひとりもいなくて、今にもつぶれそうなんだけどずっと閉店しない店って、現実にもよくありますよね。多くの場合、実はお店の売上は、日々来店するお客さん以外のところから得ているという話です。
例えば街の電気屋さん。メーカーや量販店から電気工事を請け負ったりしていて、別に店頭の商品が売れるだけが商売じゃなかったりします。
あるいは街の衣料品店。近所の小中学校の制服や体操着を取り扱っていて、入学前にドカッと売れるので、一年のうちでその時期だけに売上が集中していたりとか。

この歌の履物屋さんと傘屋さんも、場所が田舎というなら競合相手が少ないでしょうから、そういう地域の需要にこたえていたのかもしれませんね。履物屋さんなら近所の小学校の上履きを一括販売したりとか、工場や病院といった取引先に業務用シューズを販売したりとか?
・・・傘屋さんはちょっと、思いつきませんけど。イベントなんかのビニール傘の大量発注とかかな・・・。

 

仮説その3:年金で生計をたて、お互いの在庫を買い取っていた

 このふたりのおばあちゃんは連れ合いに先立たれています。さらにおばあちゃんたちが亡くなった描写はさらっとしていて、闘病の末といった壮絶な亡くなり方ではないようなので(というか、そう思いたい)それなりのご高齢だったのではないかと思います。だいたい、70代後半から80代ぐらいなんじゃないかな、と想像しています。
そうするとこの年代の方々、基本的には年金暮らしですよね。個人商店だと自営業だから、国民年金なのかな。そんなに手厚くはないかもしれませんけど、田舎でつつましやかに暮らすぐらいなら問題ないような気がします。住まいも持ち家のようですしね。

ということで、実はこのおばあちゃんたち二人、履物屋さんや傘屋さんで暮らしていたわけではなく、年金で生計をたてていたという説が浮かび上がってきました。本業ではあまり儲かってはいなさそうですし、商売は趣味みたいなものかもしれませんね。
しかし少数とはいえお客さんがいるので、当然仕入れもしていて、売れ残りも出たのではないかと思います。押入れから出てきたたくさんの履物や傘はお互い、もしかしたらそういう在庫を買い取ってあげていたのかな。
時には仕入れカタログを見て、「このデザインは隣のおばあちゃんが好きそうだわ♪」なんて思って発注してあげていたのかもしれませんね。そんな光景まで想像していたら、なんだか微笑ましくなってきたのでした。

 

 

傘がない。